【コラム】綾部市と繊維業
2025.5.29

京都府北部に位置する綾部市は、豊かな自然と歴史的な背景が調和した、美しい町です。
四季折々の風景が楽しめるこの地は、特に自然景観が素晴らしく、訪れる人々に癒しを与えてくれます。
綾部市を流れる由良川は、清流が山々を包み込むように流れ、地域の人々にとっては大切な水源であり、生活の一部でもあります。



江戸時代、綾部市周辺では蚕の養殖が盛んに行われ、絹を生産するための重要な素材となりました。
綾部市の温暖な気候と豊かな自然環境が蚕の養殖に適しており、養蚕業は地域の農業と密接に関連していました。地域の農家は、蚕を飼い、絹糸を作り、それを織物として商品化することで、家計を支えていました。この地域の絹は、手織りで作られたため、非常に高品質であり、国内外に流通していました。絹を使った織物は、特に着物や布団など、生活に密接に関連した製品として重宝され、その需要は高まり続けました。
明治時代に入ると、綾部市の繊維業は近代化の波に乗り、大きな変革を迎えます。西洋からの技術や機械が導入され、絹織物の生産は機械化が進みました。また、綾部市の繊維業は、機械を使った大規模な生産体制を整え、国内外の市場に向けて製品を供給し始めました。
この時期、特に注目されるのが、グンゼ(GUNZE)株式会社の誕生です。


GUNZEは、1896年に創業され、綾部市がその発祥の地として知られています。
創業当初、グンゼは絹糸や綿糸の製造からスタートし、その品質の高さと技術力によって急速に成長を遂げました。
特に、ストッキングや下着、靴下などの製造を始めたことにより、日本国内外で大きな注目を集めました。
グンゼの発展により、綾部市の繊維業はさらに広がりを見せ、地域経済に大きな貢献をしました。グンゼはその後、国内外で繊維業のトップ企業として位置付けられ、綾部市は繊維業の重要な拠点となりました。
戦後、綾部市の繊維業は一時的な低迷期を迎えますが、昭和30年代から40年代にかけて、再び高度経済成長期の中で復活を遂げます。
この時期、綾部市の繊維業は、新しい技術の導入や機械化を進め、従来の絹織物に加えて、化学繊維の製造が始まりました。これにより、綾部市は多様な繊維製品を生産する地として、国内外での競争力を強化しました
。
現代においても、綾部市の繊維業は重要な産業として位置づけられています。多くの繊維関連企業が綾部市に集まり、地域経済の支柱となっています。
綾部市の繊維業は、過去の伝統を守りつつ、次世代へと技術やノウハウを継承しています。綾部市の繊維業は、地域の誇りであり、今後もその発展と革新を期待されています。


タマヤ株式会社は、綾部市に本社を構える企業として、地域の繊維業の発展に寄与し続けています。
綾部市の繊維業の発展に伴い、当社も成長を遂げ、地元産業を支える一員として、その地位を確立しています。今後も地域密着型の企業として綾部市の発展を支え、また、次世代に技術を継承し、持続可能な社会のために積極的に取り組んでいきます。